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| 小学校の校庭の片隅に薪を背負って熱心に書物に見入っている少年の像、その姿が消え始めて久しい。少年の名は、二宮金治郎、晩年尊徳と称した。戦前、彼は滅私奉公の象徴のように祭り上げられ、今日でも人々はそうした抜きがたいイメージを持っている。 だが、戦争直後、進駐してきたGHQが、「こんな民主的な日本人がいたのか」と感嘆させるほど、既存のイメージとは程遠い人物であったのだ。 私はこれまで江戸時代における経済立て直し名人たち何人かを紹介してきたが、こうした人々の中でもひときわ高くそびえたち異彩を放っている人物こそ、今回紹介する二宮尊徳なのだ。 まず、簡単に彼の生涯を振り返っておこう。 尊徳は1787(天明7)年、現在の小田原市栢山(かやま)で生を受け、金治郎と名づけられた。 5才の時、酒匂川の氾濫で田畑を失い家は凋落した。14才で父を亡くし、後を追うように母も病死した。一家は離散し、叔父万兵衛の家に引き取られた金治郎は、日夜一生懸命に働き、寸暇を惜しんで勉学に励んだ。 17才の時、菜種を植えて行灯の油をとった。また捨て苗を植えて米を作った。20才で、自分の生れた屋敷跡に戻り、小屋を建てて住んだ。4年後には田畑も増えて一家を再興すると、田畑を小作に出し、自分は小田原藩家老、服部十郎兵衛の屋敷に住み込み、この家の財政再建を手がけた。この時、金治郎は、すでに身長180センチ近い大男になっていた。 弱冠35才で、藩主・大久保忠真公に再建の腕を買われ、文政4年(1821)野州桜町(現在の栃木県二宮町)復興の命を受け、翌5年(1822)田畑・家財等をすべて売り払い、 一家そろって桜町陣屋に赴任した。 当時の桜町は、小田原藩主大久保家の分家で旗本の宇津家の所領であり、石高4000石といわれていたが、 実質は1000石にも満たないほどであり、農民も他領へ逃散するか、賭博に興じるなど無頼の徒と化し、人心は荒廃して、田畑は荒れるにまかされていた。 尊徳は農家を早朝から一軒一軒訪ね歩き、勤勉を勧め、農具を与えるなどした。特に優秀な成果や善行を行った者には盛んに表彰を行い、農民たちに自覚を与え、自らやる気を引き起こそうと努めた。 時には、自ら先頭に立ち、用水路や堰や橋などの改修を行っている。 ところが、尊徳の心血をそそいだ桜町の再建は百姓出身の尊徳の改革を快く思わない人々の妨害で困難を極めるようになり、43才の時、とうとう彼は何も言わずに姿をくらましてしまう。実は彼は成田山で21日間にわたる命がけの断食修行を行って、遂に開眼するのだ。開眼後、その誠意ある努力は次第に実を結び、桜町は実収3000石を超える豊かな村に生まれ変わった。 50才の時、天保の大飢饉が起こったが桜町からは1人の餓死者も出さないほどになったのだ。 37歳から15年間、働き盛りを過ごしたこの桜町時代は、尊徳にとって最も充実した時期であり、 その創始した報徳仕法(尊徳の創始した再建モデル)の実践とともに、彼の名は全国各地に知れわたった。 56才で、ついに幕府の役人にまで取り立てられた。そして、その翌年より、「尊徳」を名乗った。彼の報徳仕法は、さらに遠く日光・相馬にまで広がって行った。1853(嘉永6)年ペリー来航の年、病魔に冒され、3年後、栃木県今市で逝去した。享年70才であった。 彼の生涯のうち、先祖伝来の田畑が旧に復すると、それをさっさと小作に出してしまい、現金収入が入る武家奉公に転向するという一事をとっても、彼が滅私奉公どころか、利にさとい極めて合理性に富んだ柔軟な経済感覚の持ち主であったことがわかるだろう。 尊徳は、「至誠と実行」「勤労」の2つの思想と「推譲」「分度」「積小為大」の3つの法則を、自ら発見し実世界で活用して、 多くの人々を救済した。 さらに、成田山開眼によって「一円融合の悟り」「不動の境地」の精神的高みにまで到達した。 では、この尊徳の発見したものを、彼自身の言葉で語ってもらおう。 「至誠と実行」の思想: 至誠とは真心であり、また物事を実行してはじめて至誠は全うされる。尊徳の仕法や思想、そして生き方の全てを貫いている根本思想である。 * わが道はもっぱら至誠と実行にある。およそ世の中は、知恵があっても学があっても、至誠と実行とがなければ事はならぬ。(夜話139、語録360) * 書物を読んで実行しない者は、ただ覚えていて人の問いに答えるだけである。だから沢山読んでおく必要がある。ところが、いざ実行する段になれば、一字一句さえ、一生涯行っても行いきれないものである。書物はただ沢山持っているだけで実行しなければ読まないのと同じでことである。(語録75、79) * 読書は縦糸であり、実践は横糸である。(語録76) 「勤労」の思想:積極的な生き方。彼の言う「天道」に対する「人道」を行うこと。人は働くことによって、生産物を得て生きていくことができる。また働くことを通じて知恵をみがき、自己を向上させることができるという思想である。 *「天道」と「人道」は決して同じものではない。自然が天道で、もっぱら作為に努めるのが人道である。天道に従って、自分ではなにもせず秋のみのりを争うのが鳥獣で、人道により自然に逆らって農事に努めた上で秋のみのりを食うのが人間なのだ。(語録107) * 天道自然にまかせておけば、田畑は荒れ、家屋は壊れ、衣服は破れる。このようにならないように努めるのが人道で、自然でないからこそ、努力しなければ続けることはできない。(語録80) *天地はもとより増減がない。人道というのは、怠れば減じ、勤めれば増す。耕作しなければ百穀はみのらず、蚕を飼いはたを織らなければ衣服はできず、建築しなければ家屋もできない。だから、この世にある者は、どうしても人道を勤めなければならないのだ。(語録364) 「人道」の考えは、一家の田畑が酒匂川の氾濫で土石に埋まってしまい人間の作ったものなど自然がいとも簡単にもとに戻してしまうという幼児体験に基づいたものであろう。 「分度」の法則:人は自分の置かれている状況をわきまえ、収入に応じた一定の基準(分度)を設定し、その範囲内で生活することの大切さを述べた法則。分度の設定に際しては、なるべく長期間にわたる統計をとってその平均値が用いられる。この平均値を「天分」という。分度は報徳仕法のスタート地点、基本点である。 * 天分によって支出の度を定めるのを「分度」という。天分には限りがあるが、贅沢には限りがない。分度と国家との関係は、家屋と土台石との関係のようなものだ。分度を定めた上で始めて国家は経理できる。分度を慎んで守りさえすれば、余財は日々生じて、国を富まし民を安んずることができるのだ。(語録6) * 国や家の衰廃を興そうとするには、何よりもまず分度を立てるがよい。分度が立ちさえすれば、分内の財が散ず、荒地はそれで開け借金はそれで償われ、衰えた国も興すことができ、つぶれかけた家も立て直すことができる。 (語録7、12) * 国家の分度が立っていなければ、税収がいくら増えても国費は足らなくなる。天分に従って国費を制限し、慎んで分度を守り、分度で生まれた度外の財によって、人民を恵み荒地を拓くことである。こうすれば田畑は増え、税収は元通りになるのだ。(語録10、13) * 国が分度を守るには、まず国自らが節倹してその身を縮めるのである。そこで余財が生じ、それが下に及んで、荒地が拓け、田畑もよく整うようになると、税収も年々増して、その国は必ず再び富むようになるのである。(語録18) 分度の法則については、服部家の再建にあたって発見したと思われる。 「推譲」の法則:分度の設定による節約によって生じた余財は将来の飢饉に蓄えたり(自譲)、荒地を開墾する原資や借金で苦しむ者に無利子で融資して借金を返済させたり、水路や橋などのインフラを整えたりすることにより(他譲)、生産性を向上させ人間らしい豊かで幸福な社会ができるという法則である。 *一両の金で荒地1反歩を拓き、その産米を一石と見る。これを全部食って譲り残すことがなければ、100年たってもその田はただの1反にすぎない。ところが、もしそのうちの9斗を食い、あとの1斗を譲って年々繰り返してゆけば、60年後には、相当なものとなる。(語録3) *一粒の米を推(お)し譲ってそれをまけば百倍の利益を生ずる。(語録4) 次の法則は、叔父に夜の読書による菜種油の使用を咎められ、自ら菜種を栽培し思いの外、多くの菜種が収穫できたこと、また捨て苗を植えて秋には1俵もの籾を得たという体験が基になっている。 「積小為大」の法則:「小を積んで大と為す」。ちりも積もれば山となる。小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつくという法則である。 * 大事を成し遂げようと思う者は、まず小事を努めるがよい。およそ小を積めば大となるものだ。1万石の米は1粒ずつ積んだもの、1万町歩の田は1鍬ずつ積んだもの。だから、小事を努めて怠らなければ、大事は必ず成就する。(語録302) * わが開墾法では、1両の金によって荒地1反歩を拓き、その産米1石として、半ばを食って半ばを譲り、繰り返し開発してやまなければ、60年の総計は、開田24億5048万2253町歩に及ぶとするのである。(語録29) 次の2つは、反対勢力によって身体窮まった末、成田山開眼によって、尊徳が悟りえた境地であろう。 「一円融合」の悟り:互いに相反する現象でも実体は1つのものである。人間は我があるために本来1つの現象を自分の都合で良い、悪いに分けているだけだという考え方。 * 禍福は1つである。理に従い、道を得る者は福を得るし、理に逆らい、道を失う者は禍を得る。禍福は理に従うか逆らうか、道を得るか失うかにかかっているのであって、決して2つ別々のものではない。(語録371) * 仏教では過去・現在・未来を説くがそれらはそもそも1つのものである。また、貧富・栄辱・禍福・吉凶・苦楽・存亡の類も、みな同様に1つのものである。(語録383) * 吉凶好悪は「我」に生ずる。「我」がなければ吉凶好悪はあり得ない。吉凶好悪は1つなのだ。人はその半分を吉として好み、その半分を凶としてにくむ。全体がわがものであれば、何の吉凶好悪があろう。(語録398) * 歌人は秋の気を物悲しいと言い、無常を嘆く。これは私に言わせれば偏見である。秋というものは百穀が熟して財貨が満ち足りる。何の物悲しいことがあろう。これを偏見に対して「円見」というのだ。(語録384) 「不動の境地」:至誠をもって自己の立脚点を定め、倦まずに努力を重ねれば必ず目的を達することができるという考え方。 * 日夜炎々たる欲情の中にあって、毅然として動かないことが、不動の徳なのである。この不動の徳を修めたならば、何で家を失ったり国を滅ぼしたりすることがあろうか。(語録229) * よろしく立脚地を定めるべきだ。それを定めずに善悪得失を論じても仕方ない。だから、何の立場から良い、何の立場から悪いと、立脚地を定めて後に論ずるならば、その事柄は明瞭になり、相対と絶対との道理も判然とするのである。(語録345) * 争論が生ずるのは、その立脚地を定めないところにある。さだめさえすれば、何の争論もありえないのだ。(語録374) 以上のような、思想や法則によって、尊徳の報徳仕法(再建モデル)が構築されているわけである。 その概要を彼の言葉で述べてもらおう。 *天地は万物を形造るが、もともと増減がなく、損益もない。それでいて、盛衰治乱、貧富苦楽、安危存亡の違いがあるのはなぜか。それは道の盛衰にあるのだ。この道が盛んであれば国家は富み、この道が衰えれば国家は貧する。では、何を道と言うか。人道がそれである。何を人道というのか。互いに生き、互いに養い、互いに救い、互いに助けることがそれである。暗君はただ己の利をはかって民を虐げ、人民は困窮して、君を敵とし、富者はおごりをきわめて貧者を捨て、貧者は恨みをいだいて富者を仇とし、甚だしきに至っては獣が食い合うような有様となり、人道は滅して弑逆乱離(しぎゃくらんり)の世となる。わが道はそこで、増減損益のない天地にもとずき、君民の盛衰貧富の天分を明らかにし、分を守って推譲し、荒地によって荒地を開き、借財をもって借財を償う。借財は償還されて余剰を生じ、荒地は開き尽くされて米麦を産み出し、財貨は豊かになり、君民・貧富はおのずから和して、互いに生き互いに養い、互いに救い助ける道が再び盛んになるのだ。(語録396) 最後に、尊徳自ら報徳仕法(再建モデル)について語ってもらおう。 * 世人の著す書物は、多くは空言である。身を修め家を整える書物はまだ聞いたことがない。また荒地を開墾し衰村を復興する書物も聞いたことがない。廃国を興す書物などは、なおさらのことだ。みな、いたずらに古書をかすめ取ってきて、空論を拡張するだけのこと、それが実際の役に立たぬのは当り前だ。私の場合はそうではない。荒地を開墾し、廃家を復興し衰村を取り直し、廃国を復興してからこれをしるすのであるから、名実共に備わっている。よろしく私の言行をしるすがよい。これを書きしるせば、これを世々の教えとして千年の後に伝えても、断じて恥ずかしいことはないのだ。(語録390) 尊徳の門下生の中で、この自らの言行を書きしるせという尊徳の付託に応え得たものが2人あった。 「二宮翁夜話」の福住正兄と、本書「二宮先生語録」の斎藤高行である。「夜話」は原文が平易な文語体で書かれており、岩波文庫にも入って世にも広く知られている。「語録」がそれに勝るとも劣らぬ内容を持ちながら原文が漢文のために普及してこなかったのはいかにも惜しい。こんな理由から、今回は「語録」を紹介させていただいた次第である。 (参考文献) 二宮尊徳についての文献は、戦前も含めておびただしい数にのぼる。しかし、現在、一般書店やAMAZONなどで入手できるものはそれほど多くない。 1.「二宮尊徳全集」36巻: 参考文献の最高峰はなんといってもこの「全集」をあげるべきであろう。昭和2年より刊行が始まり7年に完結をみた。戦後、昭和52年に復刻されている。36巻、約46,000ページものものであるが、一般には、全集中の弟1巻「原理」と弟36巻の「門人集」を読めば十分であろう。「原理」には、報徳の原理の要略をまとめた「三才報徳金毛録」が収録されている。この金毛録は、尊徳在命中も門人にすらみせなかった秘書で、宇宙の開闢(かいびゃく)から始まる壮大な報徳の世界が展開しているが、相当難解である。「門人集」には、斎藤高行の「語録」が、原文の漢文で収録されている。 全集中、1、36巻のみの購入も可能である。 2.現代版報徳全書全10巻 分売可 各¥770 1)「報徳記(上)」富田高慶 今回は、全書の「語録」(5と6)の現代語訳を参考にしたが、一部原意を損ねない範囲で修正してあることをおことわりしておきたい 3.尊徳の「生涯と思想」を知るには、次の書をお勧めしたいが、古書店でしか入手できない。 「二宮尊徳伝」佐々井信太郎 経済往来社 昭和52年 「二宮尊徳の体験と思想」佐々井信太郎 一円融合会 昭和38年 「二宮尊徳研究」佐々井信太郎 岩波書店 昭和2年 執筆時点で「二宮尊徳伝」は「日本の古本屋」に在庫がありました。
4.尊徳の資料館として、下記がある。 報徳博物館 ■ 小田原市南町1−5−72 営業時間 9:00〜16:30
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竹下和男
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