時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、
そのときこそ、正義の女神は、
その秤を平衡に保ちながら、
過去の賞罰の多くに、
そのところを変えることを要求するだろう。
──「パール判決文より」――
私が以前から、この「良書との出会い」で採りあげたいと思っていた本で、皆様に是非読んで頂きたかった本が今回の『パール判事の日本無罪論』である。なぜ今まで採りあげなかったかといえば、本書が昭和38年の初版以来、平成10年まで27刷りを重ねるほどのロングセラーであったのが、その後、出版社の倒産で絶版になっていたからである。絶版の本を紹介しても無意味だろう。
それが、今年の10月、小学館から廉価な文庫本として復刻、発刊されたと聞き、大変嬉しく、早速紹介させて頂くことにした。
本書は、太平洋戦争後、アメリカをはじめとする旧連合国が、日本の“戦争犯罪”を裁いた極東軍事裁判(俗称 東京裁判)で各国11人の判事の中でただ一人、A級戦犯25名の被告に対し全員無罪の主張をした、インドの代表判事ラダ・ビノード・パール判事の判決書について書かれたものである。
パール判事は、東京裁判の判事中唯一の国際法学者で、国際法によらず、事後法によって行われた同裁判を戦勝国による復讐であり、国際正義の観点からは程遠いと断じ、原爆投下など連合国側の問題についても指摘した。パール判事の判決書は裁判では朗読を許されず占領統治下では国内外にも公開を禁じられた。
本書は1200頁を超える膨大なパール判決書の内容を紹介しつつ、東京裁判の不正を鋭く、正確に衝いたものであり、日本人必読の不朽の名著と云える。
著者の田中正明氏は、戦前、A級戦犯として処刑された松井石根大将の秘書を務め、戦後はパール判事とも親交が深かった人である。
東京裁判とは何であったのか。──私が昔から常々思っていて、今も変わらないことがある。それは、アメリカは日本に対し、その歴史上に大きな汚点を二つ残した、ということである。
その一つは、広島、長崎への原爆投下であり、もう一つは東京裁判である。原爆投下は、無抵抗の民間人を大量に殺戮したということで、東京裁判は法に基づかないもので戦争犯罪を断定したことにより、ともに明かな国際法違反である。
このことは、世界をリードしていると自負する文明国の行為としては、あってはならない恥ずべき行為である。これについては、後年、J・F・ケネディ元大統領をはじめ心あるアメリカ人の認めていることであり、なんと当時の占領軍最高司令官マッカーサーが、A級戦犯処刑の数年後に東京裁判が誤りであったことを認めている。
しかし、東京裁判の開始された昭和21年の5月、当時の状況は全く違っていた。
まず同裁判を構成する各国からの代表判事11名が、全て連合国として日本と交戦した戦勝国から選ばれていることである。そして被告28名(当初)に対する起訴事実は、3種55訴因に分けてあげられている。
第1種が「平和に対する罪」であり、それは被告らが共同謀議して侵略戦争を計画し、準備し、開始し、遂行して、世界の平和を撹乱したというもの。
第2種は「殺人の罪」で、宣戦布告せずしてなされた敵対行為は戦争ではない、したがって、その戦闘によって生じた殺傷は殺人行為である、というもの。
第3種は「通例の戦争犯罪および人道に対する罪」であり、これは非戦闘員に対して加えられた大量殺戮、または俘虜の虐待など、通例の戦争犯罪を統括していうのである。
これらの罪名の多くは、国際法にも慣習法にもなく、東京裁判用にあてはめて後からつけられたものである。理由は本書に詳述してあるので省くが、これらは事実に照らしてみても明らかにおかしく、あえて裁けば戦勝国も同罪である、というのがほとんどである。
勝てば官軍という言葉があるが、同裁判は、戦勝国側が敗戦国日本に対する復讐とその徹底的な無力化を狙ったものだったのである。
このような法廷の空気の中で、戦勝国側(インドはイギリスの属領)の判事の中でただ一人、法による公正な裁判を徹底して主張し、最後まで譲らなかったのがインドのパール判事その人だったのである。
少数意見として採りあげられなかったパール判決文は、英文にして実に1275頁、日本語にして、100万語に及ぶ膨大なものである。それは他の判事による多数意見の判決文を上回るものである。作成までに3年の歳月を要している。
内容は、裁判所のあるべき姿「予備的法律問題」から「侵略戦争とは何か」「全面的共同謀議」「厳密な意味における戦争犯罪」…その他、第1部から第7部まで分類されている。それぞれについて、同裁判が如何に誤っているか、日本の25被告の無罪性について、著者の田中正明氏が見事な要約で紹介している。
田中氏は云う。「パール判事はこの大論述を、一切の同情論や抽象論を抜きにして、検察側の起訴事実、3種55訴因を追いつつ、論告と弁護を対比しつつ、しかも膨大な証拠、証言および学説について分析し、批判し、判定しているのである。
国際法や条約文に対する法学者の見解はもとより、古今の哲学者、宗教家、政治家のことばを引用して、さながら荘厳なる大伽藍を思わせるような、見事な論理の構成である。まさに、現代法学界最大の関心事といわれる戦争裁判に関するもっとも権威ある名判決といえよう」──と。
裁判では日の目を見ることのなかったこの名判決が、しかし、その後イギリスをはじめ、国際法学界で大反響を呼んだ。同裁判の終結後、数年を経ずして、世界の多くの権威ある国際法学者が、裁判の非合法性とその過誤を認めたのである。彼らはその後、東京裁判はパール判事一人にその名を成さしめた、と述懐したという。
その頃(昭和27年)、パール判事は再度日本を訪れ、法律家を前に講演で次のように訴えた。
「日本とドイツに起きたこの二つの国際軍事裁判を、他の国の法律学者が、このように重大問題として真剣に採り上げているのに、肝心の日本において、これが一向に問題視されないとはどうしたことか。
これは敗戦の副産物ではないかと思う。すなわち一つの戦争の破壊があまりにも悲惨で、打撃が大きかったために、生活そのものに追われて思考の余地を失ったこと、二つにはアメリカの巧妙なる占領政策と、戦時宣伝、心理作戦に災いされて過去の一切が誤りであったという罪悪感に陥り、バックボーンを抜かれて無気力になってしまったことである」。
卓見である。
判事のこの言葉のあとで、著者の田中正明氏が次のように書いている。
「われわれは、冷静な理性をもって、東京裁判をもう一度見直す必要がある。戦後、日本の経済復興は世界の驚異とまでいわれ、すでに戦前を凌いで、目覚ましい発展を遂げつつある。
だが、他の分野、たとえば、政治・社会・倫理・教育の領域はどうだろうか。とても正気とは思われないような混沌と頽廃が渦を巻いている。
いったい、その病気はどこに根ざしているのだろうか。私はその病気のすべてとは云わないまでも、その重要な一つとして、アメリカの占領政策の影響を数えねばならないと思う。東京裁判は、明らかに一つの狙いをもったデモンストレーションであり、ショウであったといわれている。その狙いというのは、占領政策の宣伝効果ということである。そしてその宣伝効果は見事に成功を収め、その影響は今日に及んでいる」。
慧眼である。これが書かれたのは、初版本が出た昭和38年であるから、およそ40年程前のことである。
驚くべきことに、50年前の判事の言葉と、40年前の田中氏の言葉が、現在の日本に未だに尾を引いて、そのまま問題点を残していることである。
現在は、世界の識者の間で東京裁判は誤りであったことは国際常識になっているし、占領政策はとっくの昔に終わっている。
それにもかかわらず今の日本では、東京裁判で日本は無罪だった、と云おうものなら、右翼とか、タカ派と云われ、憲法改正を云えば、戦争肯定論者に見られる。教科書問題、靖国神社参拝について、中国、韓国などから何か云われるたびに、明かな内政干渉なのに、その都度謝る。
この自虐的体質の大本を成すものが、東京裁判史観と呼ばれる、裁判は正しく日本は全て悪かった、という思想である。田中氏が指摘して遥かな歳月を経て、未だに“占領政策の呪縛”から解放されないのは、一体どうしたことなのか。マッカーサーが、草葉の陰であきれて苦笑いしているかもしれない。
ここで誤解のないように云っておきたいことは、田中氏は、日本は全て正しかったと云っているのではない。敗戦を通じて過去の誤りや失敗を正しく反省することは当然なことである。云うまでもないことであるが、国際社会や戦争には、勝者、敗者それぞれに言い分があり、正邪を一方的に決めつけることはできない、と云っているのである。
そして氏は、パール判事の裁判に処する真摯な姿勢を次のようなことで紹介している。
判事が再度来日されたとき、朝野の有志が帝国ホテルで歓迎会を開いた。その席上ある人が「同情ある判決をいただいて感謝にたえない」と挨拶したところ、判事はそれに応えて、
「私が日本に同情ある判決を行ったと考えるならば、それはとんでもない誤解である。私は日本の同情者として判決したのでもなく、西欧を憎んで判決したのでもない。真実を真実と認め、これに対する私の正しき法を適用したにすぎない。それ以上のものでも、また、それ以下のものでもない」──と。
本書は、世界でも類稀な一人の国際法学者の偉業を通して、現代日本に巣喰う歪みを正す、屈指の名著として、確信をもって一読をおすすめする。
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