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「盛大な人生」冒頭より
それでは、きょうから心身統一法の大学院コースとでも言うべきお集まりをひらきます。ここで説かれる真理の内容は、今までよりも非常に階段が上になっています。したがって、難しいなあと思うかもしれないけど、けっして難しいんじゃない。
ただ、深さが深い、広さが広いというだけのことなんだから、難しく考えちゃいけないよ。どんな場合でも、難しいことは言いやしないんだから。また、難しいことを私はしらないもん。
私が考えきれるぐらいのことをあなた方が考えきれないはずがないんだから、同じ時代に生きてる人間なんだからねえ。あなた方が現代に生きていて、私が非常にずばぬけてあけちゃた世界に生きているんならともかくも、同じ世界なんだから。
いま聞いてわからないことでも十分ぐらいたった後に、「ああ、あのことのこれは、演繹的説明だなあ」ということがわかるように、ちゃんと話が仕組んであるから、そのつもりで。
きょうの悟りの題目は、「人生のいちばん大切な自覚」です。お互いの人生生活のなかで最も大切な自覚とはなんだろう。人々の考え方でいく種類かの区別はありましょうけれど、私はお弟子の人たちに、「人間として何としても絶対にできないもの、できるかのごとくに考え違いして、そして無駄な努力をついやして、人生を自分から悩ましい、辛いものにしちゃいけない」としょちゅう言っているのですが・・・・。
こう言うと、なあーんだ、と思う人もあるかもしれないけど、あなた方もよく、考えてごらん。とかく、できないことをできるように思って、そしてそのミステイクをミステイクと知らないで、悩んでる人、苦労している人がありゃしないか。
とくに、人生を普通の人の知らない真理や、あるいは理解で教えられた人は、その教えられた事柄に対する分析的な頭がないものだから、何でもかんでも、できることも、できないことでも、教えというものはでかさなきゃいけないというふうに考えて、そして一生懸命に努力して、うまくいかないと、それが悩みになるんです。
これは人生を考えない人には考えられない悩みなんですがと言っても、まだわからないでしょうな。この世の中には、本当らしい嘘もあると同時に、嘘らしい本当があるのと同じように、できそうで絶対にできないことと、できなさそうでできることという、二つの種類があるんであります。
ところが、人々の多くは、第一の、できそうで絶対にできないことを、できそうだと観念的に推定して、何とかしてそれをでかそう、でえかそうと努力する
・・・・・以下省略
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