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出口光の「天命と経営」24

「番外編4:心の感動、魂の感動

 私たちは、「天命と経営」の中で、コロコロ変わる「心」と、揺れ動かない不動の「魂」の領域を区別してきた。

 それでは、あなたには、「心の感動」と「魂の感動」の区別があるだろうか?

 「心の感動」は、心の分野にある“感情”を揺さぶる。

 私は涙もろくて、かわいそうな話や親子の再会の話などをテレビで見ると、涙が止まらない。しかし、これが魂にまで到達するものでなければ、一時的な感動で、すぐ消えてなくなる。そのことで、私の後の行動が変化することはまずない。

 あなたは映画やテレビを見て人生が変わるだろうか?私たちの多くにとって、それは人生に影響はしない。あれほど涙を流したにも関わらず、人生に違いは創らない。

 私は、「心の感動を重要ではない」と否定しているのではない。人を癒(いや)し、和(なご)ませる心の働きは人間にとって欠くべからざるものだからだ。

 しかし、私たちの多くは、心情の動きに支配され、魂の領域を見失ってしまう。だからこそ、“心”と“魂”の感動の区別を創るために、敢(あ)えて、映画やテレビを観た感動は、あなたの心の感情を揺さぶったに過ぎないと、ここでは言いたい。

 心の分野である感情を揺さぶられれば、私たちは無条件で“すばらしい”と思う。私たちを少しの間、気持ち良くさせてくれる。心を癒してくれる。

 その間に、あなたはその人の本を買うかもしれないし、何か行動をしようと思うかもしれない。しかし、これは一時的なものであり、それは、あなたの人生に本質的な影響を与えないかもしれないのだ。

 「そんなことはない。感動で私の人生は変わったのだ」と、あなたは言うかもしれない。しかし、その場合は「魂の感動」を呼び起こしたのであり、それに伴って心の感動があったのかもしれない。私は、まさしくその2つの感動を区別したい。

 「魂の感動」は、あなたの心が認識しようがしまいが関係がない。しかし、あなたの日常の行動に変化が起こる。それを「魂の感動」と呼んでいる。

 例えば、私の友人は、あるとき一人の芸術家の創作になる陶器の「壺」を見た。その瞬間涙が溢(あふ)れた。なぜ涙が流れるのかわからなかった。しかも感情が溢れ、胸いっぱいになったのではなかった。

 心は平静なのに涙がとまらなかったのだ。これは明らかに「心の感動」とは違う。彼はその芸術家に弟子入りすることになった。

 あなたの周りにも、きっとこのような現象があるはずだ。

 私が主催する「個の花道場」という研修道場で、自分や人の天命を探求する機会がある。そこでは、参加者が「嘆きの指し示す領域」「人生を貫くもの」を探求することによって出てきた天命を、「そんな畏(おそ)れ多いことはできません」「それは絶対に違います」というふうに、必死で否定することがある。

 ところが、不思議にも参加者は否定しながらも涙を流すのだ。心は否定しているのに、心に感動がないにもかかわらず、涙が流れている。

 私は、長い間なぜこのようなことが起こるのか不可思議に思っていた。そしてどういうわけか、その人たちの後の行動に違いが出てくることに気づいた。

 いま、私は、これを魂の感動として区別するべきだと考えている。そして、もしあなたがそれを受け入れるなら、次のような疑問が出てくる。

 「なぜ魂の感動が起こるのだろう?」

 それは、見たり聴いたりしたことが、あなたの魂に届いたときと考えている。さらに、それが天命の領域に関わるものとして、その自覚や責任に気づいたときには、その感動は大きく、人生に大きな影響をもたらす。

 そのとき、あなたに通常の「心の感動」はないかもしれない。しかし、静かな魂の感動があり、確実に日常の行動に違いが出てくる。

 経営者は、「心の感動」と「魂の感動」を区別していないことで、得られるべき成果を受け取れないかもしれない。なぜなら、ただ単に心が感動する話や文章を、すばらしいと思ってしまい、それを社員にも提供しようとするからである。

 確かに、涙が出て胸が揺さぶられる感動をするかもしれないが、それは社員やあなた自身の人生に違いを創りはしない。

 もしあなたが、部下の天命を掴み、相手の魂の領域に触れる意図で、話をすることができたらどうだろうか。それができれば、そのことによって、相手の行動に違いが出てくる。

 しかし、心と魂の感動を区別して、魂の感動に挑戦することは、簡単なことではない。なぜ難しいのか、その原因に迫る企業経営のわかりやすい例を挙げて説明しよう。

 ある社員が、重大なミスをしたときに、経営者が大きな愛情のつもりで許した。でも、それが社員には、「優しい社長でよかった!許してもらえた」という心の感動でしか伝わらなかった。

 社長はといえば、社員の安堵と喜びを見て、感動した。同じ社員が、もう一度ミスをしたときに、また、社長は大きな愛情で許した。

 でも社員には、「何をしても許してくれる社長だ」としか伝わらなかった。次第に、会社の士気は緩み、経営者を含めた会社ぐるみで、失敗を隠すようになっていった。

 下の図をみてみよう。


 

 


 私たちの行動には、即時の結果と長期的な結果の2種類がある。それは、互いに相反する場合が多い。

 私たちは目に見える即時の結果に影響されやすいのだ。

 もし私たちが即時に目に見える感動を手に入れることで、短期的には直面することが辛い「天命」の探求をすることをやめてしまうなら、あなたの長期的結果は、真に満足のいくものにはならないだろう。

 経営者が「心の感動」と「魂の感動」の区別がついていないために、即時の結果に繋(つな)がる「心の感動」にのみ注目すれば、常に「心の感動」を求め、新しい感動を呼び起こすものに、次々と目を向けていかなければならない。

 なぜなら「心の感動」は長続きしないからだ。実際に、新しい「心の感動」を求め、彷徨(ほうこう)している経営者もたくさんいる。

 先ほどの例をとって、魂への働きかけを重視することを考えてみよう。

 ある社員が、重大なミスをしたときに、経営者が大きな愛情で、その社員の天命である「最高品質のモノを作る」に響く、厳しい叱責をし、重い処罰をする。すると本人や他の社員は、最初「そんなに厳しくしなくても良いのに」と反発するだろう。

 しかし経営者は、その社員の天命に響く言葉で、再度厳しく叱責する。すると、経営者の決意は、その社員のみならず、他の社員へも伝わり、品質重視の社風ができていくのだ。

 それでは、次の図を見てみよう。

 天命に直面することは辛いことで、当初、経営者自身や社員の天命への働きかけは、「心の感動」を呼ぶどころか、即時の結果は逆に、社員の嘆き、反発や不満を招いてしまう。

 しかし、それに働きかけ続けることで、社員が、自分の内なるエネルギー源である「天命」への志が醸成される。だから、経営者は、その負の即時の結果を受け入れ、乗り越えていく必要がある。

 そのためには、経営者自身と社員の天命を見抜く訓練を、自分自身に課していくことが大切だ。それは、あたかも筋力トレーニングのようなもので、少し休むと筋力は衰え、続けていけば筋力はどんどんアップしていくように変化していく。

 あなたの執拗(しつよう)な天命への関わりは、しだいに「魂の感動」を呼び起こし、あなたや社員の内なるエネルギー源を呼び覚ますことになる。あなたが社員の天命を探求することで、社員の内なるエネルギー源が醸造されていくのだ。

 あなたが「心の感動」と「魂の感動」を区別することで、天命を経営に生かすあなたの経営に、静かな質の進化がもたらされるだろう。



                                       出口光

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