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出口光の「天命と経営」14号

「社員の心に隠れた不動のものを掴む」

 私たちは「天命を経営に活かす」という探求に取り組んできた。心はポジティブでなければならないとか、いつもモーティベーションが高く、ワクワク楽しくなければならないといった心を扱う方法による社員の動機づけの限界を見てきた。  心の変化は人間の常であり、それは、絶えず揺れ動いているからだ。その変化を拒否することは、人間性の否定に繋がる。 

 昭和の初期に、3年間負け知らずの大横綱、双葉山がいた。前人未到の69連勝を続けていた双葉山が遂に安藝ノ海に敗れた。その夜、双葉山は知人に宛てて、「われいまだ木鶏たりえず」という電報を打った。 木で作った鶏のように無の心の境地に至れなかったという意味の言葉である。

 己の限界に挑み続けた双葉山ですら、心は揺れ動いていたのだ。

 経営者であるあなたが自分を見て、心は騒ぎ変化するものだということを受け入れるなら、社員に対しても、その心の振幅を認めることができる。この人間の心の変化を受け入れることは、極めて大切なことなのだ。そうすれば、人の 心の動きに、自分の心の動きに、一喜一憂する必要がないからだ。精神が弱い と言われるひとは、自分の心の動揺を受け入れられず、そのことで自信を失ってしまったり、それを否定する言動をしてしまうからだ。

 まず、実際に、自分の心がどのようなときに揺れ動くのか、観察してみよう。

 私自身を観察すると、私が何か計画したことに対し、人から反対意見を言われると、自分を否定されているように聞こえ、しばしば反発の感情が出てくる。 それも、決まりきった同じような事態で、自分の心が大きく動揺するのだ。

 そのときに、「ああ、また心が騒いでいる」と観察し、それが出てくることで自分を否定せず、それを心の常態として受け入れると、不思議にその騒ぎはまもなく収まり、心が平穏になる。 私は、これを心の潔斎と呼んでいる。

 心の潔斎を続けると、揺れ動く心の奥底に潜むものを発見することができる。つまり、最も自分の心が動揺する正にその事態が、あなたの天命そのものと深く関わっていることに気づくことができるのだ。では、私自身の場合には、なぜ反対意見を言われると心が騒ぐのだろうか?

 揺れ動く心の奥底をさらに観察することで、私の計画が自分の天命に根ざしたものであり、なんとしても成し遂げようという強い意志があることを発見してきた。人から反対意見を言われたとき、あたかも私の天命への志が否定されかのように、心が騒いでしまうのだ。

経営者なら、あなたは、どんなときに最も心が騒ぐのかを観察し、さらには、心の潔斎を何度もやり続けてほしい。なぜなら、心は常に揺れ動くからだ。これを行い続けることで、あなたに心の平安が現れ、自分の中に潜む自分の 本来やるべきこと、つまり、天命に対峙することが可能になってくるだろう。

 もし自分の心の動きと天命との関連を見出すように、社員の心の動きから、その天命を見抜き、そこから関わることができたらどうだろうか?たとえ、社員の言動が揺れ動き、あたかも信念などなく、自信がないように見えても、だ。  それでも、人の心の奥底にある不動のものは、厳然と存在するからだ。

 では、経営者として、社員の天命と関わるにはどうしたらよいのだろうか?

   天命を経営に活かす第14の質問は、これだ。

  「あなたは社員の心の動きと、どう関わっていますか?」

 一人のまじめな社員がいた。「私の人生を振り返ってみると、人の助けになりたいという想いが、ずっと私の胸の中にありました。確かに、その想いは、私に繰り返し、繰り返し出てくることだし、人生に一貫するものだと思っています。でも実際に自分をよく見てみると、ひとに良くやっているのを認めてもらいたいという気持ちがあり、しかもそれをわかってもらえないという 悲しさから、私の周りの人たちに、さりげなく行動でアピールしていました。

 だから、「人の助けになる」 などという大畏れたことは、私の天命では決して ありません。そんな畏しいことをやっていく自信もありません。だから、私には 天命などありません」 と、苦しげに言うのだ。

 ここで私たちが注目すべきは、「人に認めてもらいたい」という心情は、単に 私たち誰もが持っている心の動きだということである。その社員に固有のものは、「何をすることで、ひとに認められたいのか」ということなのだ。アピールを してまで、「人の助けになる」ことを認められたいというのが、その社員を特徴 づけるものなのだ。これが、社員の天命と関連しているとしたらどうだろうか。

 私は奇をてらった解釈を、あなたに提供しているのではない。

 言い換えれば、その社員は、「分析力が優れている」と思われたいのでもなく、「新しいことに挑戦している」と見られたいのでもなかった。「人の助けになる」と思われたかった、そして「わかってもらえない」と嘆いていたのだ。その想いが、その社員の天命に大きく関わっていると、私は観ているのだ。

 図1をみてほしい。通常、私たちは、「心の動き」ばかりに囚われ、その動きの源泉である「天命」を見ることをしない。「認めてもらいたい」「わかってもらえない」という誰もが持つ心情の奥に隠れているその人固有の「源泉」があるのだ。このセンスを、あなたは掴むことができるだろうか?

 経営者が社員の「認めてもらいたい」、「感謝してほしい」、あるいは、「わかってもらえない」、「自信がない」といった悲鳴のような言葉にのみ注目してしまえば、あなただけではなく、社員自身も、ますます人の助けになることが、自分の人生を貫く大切なものだとは思えなくなってしまう。その結果、自分の天命を  否定してしまい、仕事への意欲と活き活きさを失うことになるのだ。

 まず、経営者が社員の悲鳴のような言葉から、その社員を駄目だと評価するのではなく、それがどこから出てくるのか、その源泉を捉えることが大切なのだ。

 そのような言葉は、社員の心の奥底にある不動のものに対する畏れであるかもしれないのだ。そのことを受け容れることができたとき、あなたには社員に対する尊敬が生まれてくるだろう。

 人が発する心の動きに関する言葉から、相手の不動のものを観ることは容易なことではない。修得にも時間がかかる。しかし、「社員の天命と関わる」という 強い意志で何度もやり続ける中で、着実に仕事に成果が現れてくることは間違いない。 この過程を経て、次第に、あなたは社員の心の揺れに、尊敬と愛情を持って関わるようになっていくだろう。

 もし私たちが、桜の散るのに涙し、紅葉の美しさにも息を呑むような自然を愛する情感を、そして、仕事や人間関係に悩み、深い諦めが顕れる消極的に思える心情をも、自分自身に許すことができるなら、心の揺れによってあなたの天命への志は挑まれ、さらに磨かれていく。その揺れを許すことは、心が豊かでも あるということなのだ。

 「天命を経営に活かす」とは、常に自分や社員の天命と関わり、それを仕事に表現し続けることだ。そのことを実践する中で、天命を通して揺れ動く心との関わり方は、深くなり、また、広くなっていくようだ。つまり、天命への関わり方は、進化していくかもしれないのだ。

この天命への関わり方の進化に関しては、次号にしたい。

出口 光

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