多くの未来志向型の成功哲学は、自分の過去を一切無視したものになっている。したがって、あなたの限界線はあなた以外に引く人はいない。白いキャンバスに夢を描き、潜在意識に透徹できるまでの強い願望にそれを高め、具体的に未来をイメージする。
その具体的なイメージを基に、逆算して現在やることを決め、それを実行すればその物理的望みは、必ず叶うというものだ。
現在、信念と積極思考の力によって人生の成功を手に入れることができるという成功哲学は、近代成功哲学の所産として重要な位置を占めている。
しかし、私がここで取り上げる生き方は、来世思考でも未来志向の成功哲学でもない。
小泉首相が尊敬する織田信長は、部下の明智光秀に謀反を起こされ、天下を統一するという夢を果たすこともなく自害した。
坂本竜馬は、明治の御世を見る前に、京都の池田屋で新撰組に殺害された。西郷隆盛に至っては、朝敵であることを覚悟して、西南戦争を起こし城山で散った。
このような例を挙げるまでも無く、戦国時代や明治維新の立役者達の多くは、志半ばで、倒れている。
彼らは、この世で成功を謳歌することもなく現世に別れを告げた。第二の成功哲学からみれば、現世で経済的、物理的な達成をしていないのだから、成功者とは言えまい。
それでは、これらの希代の英雄は、来世の成功つまり、天国を夢見ていたのだろうか。私は、そうは思わない。
戦国時代の武将や明治維新の志士たちの多くの辞世の句が残されている。 私はかつて、それを調査したことがある。そして、驚嘆した。
それらのどれひとつをとっても、この世の成功やあの世への期待を詠んだ句はなかった。明らかに、彼らは、来世や今世で成功するために生きたのではなかったのだ。
来世志向や未来志向の成功哲学に当てはまらない人たちが、どうして今もなお、私たちの多くを魅了して止まないのだろうか?
織田信長は、間違いなく日本の近代を開いた革新的な男として、いまだに多くの経営者を魅了しているし、坂本竜馬は、薩長同盟の立役者であり、日本初の商社と言われる「亀山社中」を設立し、いまでも多くの経営者が憧れる存在だ。
西郷隆盛も、朝敵となりながらも維新最大の功労者と言われ、とてつもない器を持った人として、国民から愛され続けている。
3人の英雄にとって、事の成否が最大の関心事なのではなく、自分が本来やるべきことのために全霊を尽くして、この世を去ったのだ。
あなたは、天国に行くために、あるいは、近代の成功哲学である現世で物質的な利益をえるために、本当に生きているのだろうか?図3を見てほしい。
あなたは、自分の過去を振り返り、あなたに与えられた本質を見極め、そこから顕れる志を実現していくために、未来に向かって生きる。
自分の現在という今に、過去と未来を含んで生きる「生きざま」を現わしている。
あなたが、固有に与えられた使命に志して、過去と未来を含んで全身全霊で生きるプロセスこそが、人生の成功なのだという第三の成功哲学を受け入れるとき、「どのようにすれば、天命に志すことができるのか?」という第6の問いにも、答えが出る。
あなたの魂が真に望んでいるのは、いったい何か。
あなたが、魂から溢れだす本来やるべきことに志し、それを現実の事業に形として顕し始めたとき、それは、あなたしかできない独自性を帯びた事業になっていくことは間違いない。
次回からは、いよいよ自分の天命を導き出す「人生の統合」に関する探求に、あなたと共に、入って行きたい。