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出口光の「天命と経営」 6号



天命との4つの関り方

          

 前号までは、なぜ嫌だいやだと言いながら、特定の行動をやり続けてきたのかを解明してきた。

 自分に与えられた天命のハードルがあまりに高いために、嘆きながらも、繰り返し継続的に行動し続けている可能性を観てきたのだ。

 その行動をあなた自身が受け入れる時、必然的に、第五の問いが出てくる。
私達は、どのように自分の中にある天命と関わるべきなのか?

 言い換えれば、人には本来やるべきこと、つまり天命が存在するなら、あなたは、それとどのような関わりをするべきなのだろうか?

 実際にあった話から初めよう。

 私の友人で、何度も職を変えた男がいる。どこに行っても仕事のできる男で、すぐに幹部に起用されるのだが、経営者や上司と対立し、結局辞めざるをえなくなる。

 そして、職場を変えることになるのだが、やっぱり、同じような対立が起こり職場を辞めることになるのだ。

 小さな職場で対立しても、決してその会社が良くなるわけでも、社会がよくなるわけでもない。本人もわかってはいるのだが、結局は、同じことを繰り返してしまう。自分でもどうしようもない、全く理屈に合わない、非合理な行動なのだ。

 どうして、本人も嫌がることを、しかも何の得にもならないことを繰り返すのか?

これは、奇妙ではないか。

 悲鳴をあげながらも繰り返すこの非合理な行動こそ、天命を実行していたと観ることができるのではないか?もしそれが天命なら、天の命令なのだから、逆らうことはできないはずだ。天命だからやり続けていたとするなら、納得がいく。

 しかし、この友人は、自分の天命を自覚していないばかりに、自分の天命との関わりを覚悟できていないために、自分の力を発揮する方向を誤ってしまっているのだ。

 どういうことだろうか?この友人の、「繰り返し上司と対立する」という行動を貫く本質を捉えれば、「社会を変革していくこと」だと見えてくる。つまり、天命は、既存の体制を覆し、社会を変革することなのだ。

 しかし、その覚悟ができていないために、身近な上司と対立を繰り返し、会社を転々としてきたのである。

 もし私の友人が、職場という小局で、その対立を起こすのではなく、社会的に変革すべき大きな目標にむかって、その全てのエネルギーを経営者と共に、傾注していたらどうなっていただろうか?

 同じ「社会を改革していく」という天命を持ったクロネコヤマトの小倉社長は、通産省や郵政省と戦いながら、社会に有益な「宅急便」という新しい事業領域を創造した。

 ただし、自分の会社という小さな器の中で戦うのではなく、社内で足場を固め、政府や官庁を対象とした大きな戦いに挑み、変革を成し遂げたのだ。

 ここに、「天命に志すこと」と「天命から逃げること」の決定的な違いがある。

 天命に志すと本来の対象に自身の行動が向けられる。しかし、志を実現するには対象が半端ではなく、それは大変な困難を伴い、幾つものハードルを超えねばならない。

 自分自身の天命の大きさに圧倒され、天命から逃げようとすると、その対象は身近で限定的なものになり、自分の周辺で軋轢や問題が山積してくる。

 経営でも同じことが起こるのだ。小局から観た成功や主義、信条に囚われるばかりに、大きな本質的な成功を逃してしまうのだ。

 そして不思議なことに、逃げている限り、同じことが次第に、より激しく、大きく繰り返されるのだ。あたかも、天から「これでもまだ気づかないのか」と言われているようにだ。あなたにも思い当たる節は無いだろうか。

 さらに、あなた自身の天命への関り方を探究してみよう。あなたは、このコラムを読んで、どのような反応が出てくるだろうか?

 次の3つのどれに近いだろう。

 

  1. すぐ「天命」とか「志」の経営という人がいるが、自分には関係ないことだ。経営者は、格好つけないで、利益を出すことに専念すればよい。
  2. 今の事業が天命というのなら、なんと厳しい天命なのか。もっと他にあるのではないか。
  3. 天命の大切さはわかる気がするが、とても自分にはそんな大それたことは できない。今はまだ、経営に専念したい。

 
 1を選択した人は、天命を避けている。 2を選択した人は、自分の天命に悲鳴をあげている。 3へ反応した人は、天命を畏れている。

 この3つの反応は、どれも「逃げる」という言葉で要約される。しかし、不思議なことに、逃げて他のことをしたとしても、本質的には同じことを、次第により激しく、大きく繰り返し起こすようになる。

 ただ、方向性が定まらず、益々苦しくなるか、自分の経営なんてそんなものだと諦めてしまうだろう。

 この「逃げる」とは異なる、天命に関わるもうひとつの方法、つまり、第四の選択肢がある。

 それは、自分の中にある天命を明確にし、それを受け入れ、天命に志す生き方だ。

 つまり、あなたに残された選択肢は、天命に直面し、それに志すということになる。

 私にも、繰り返し出てくる心の嘆きの言葉がある。「人間なんてとても理解できるものではない。所詮、自分のやれることは、人間に関する断片を扱うのが関の山だ。

 もっと普通の仕事をやればよかった。人間そのものではなく、物を扱えばよかった」である。

 しかし、私の人生を振り返ると、常に人との関り方に関心があり、人間そのものを扱うことを、研究や仕事の形態を超えてしてきたのだ。私の中に存在する揺ぎ無いものは、「人間を理解し、その理解を社会に役立てる」ということだ。

 これは、どんなに嘆いたところで、替えることはできないし、死ぬまでそれを続けることに微塵の疑いも無い。

 今まで嘆きながらやってきたことの本質を捉え、受け入れ、それに志すとき、迷いは晴れる。これまでの失敗は見事に、必要不可欠のものであったと認識されるだろう。

 経営者は、天命に志した経営を歩み始めた時に、天命が経営の中に顕れ始めるのだ。

 「自分はあらゆる局面において、常に天命を実行してきた。そして、これからもそれをやり続ける」と本心から思い、実行すれば、人生も経営も揺るぎないものとなり、本来目指すべきゴールに一歩ずつ近づいていくのだ。

 私たちに与えられた、最後の、最も崇高な自由は、天命に志し、それに向かって歩んで行くことにあるのかもしれない。

 最後に、もう一度、特殊な問いをしよう。

 あなたは、自分の天命とどのように関わりますか?

 あたなが天命に志し、それを実行に移したとき、多くのハードルが、あなたを待ち構えているだろう。しかし、あなたが天命を志そうと志すまいと、あなたは、天命を実行し続けるのである。

 それなら第6の問いは、必然的にこれだ。

「どのようにすれば、天命に志すことができるのだろうか?」


                          

 出口 光

 
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