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出口光の「天命と経営」 5号



天命の経営とは何か

          

 もし天命とも呼べるものが、あなたの「人生の支柱」となるならば、心の動きに惑わされたりしない、「揺ぎのなさ」があなたの人生に顕れてくるだろう。

 そして、あなたの事業は、次第に独自性を帯び、社会に無くてはならないものとなるはずだ。それこそが、あなたの天命の表現としての経営と言えるだろう。

 前回の特殊な問いは、「あなたが人生で嫌だいやだと言いながらも続けてきたことは何か?」だった。それは、見つかっただろうか。

 もし答えが、ノーならば、ぜひ第四号に戻ってほしい。あなたの人生の中にも必ず見つかるからだ。イエスならば、次の特殊な質問に移ろう。

「なぜ嫌だいやだと言いながら、特定の行動を続けるのだろうか?」

 自分の人生の中で、どうして嫌だいやだと言いながら、あなたは、その行動を続けるのか? これは、奇妙ではないか。

  天命という漢字を広辞苑で調べてみると、文字通り、「天の命令」だ。天はさておき、天命を構成する「命」という漢字を分解してみよう。

 命は、「人」、「一」、「叩」という3つの要素から成り立っている。つまり、「人を一番叩くもの」ということになる。つまり、天命は、天が人を一番叩くものということになる。

 「命」とは、「いのち」のことであり、人間にとって最も大切なものだと言われてきた。そうだとしたら、人を一番叩くものが、最も大切なものということになる。





 

これは、象徴的な意味を持っている。つまり、人は、天命に叩かれ悲鳴をあげているのだ。

 さらに理解をするために、実証的に2つの例をあげてみよう。これは、机上の空論ではないからだ。

 ナイチンゲールに憧れてOLを辞め、看護師学校に入り直し、その後15年間、看護師を続けている女性がいる。

 彼女が私に、「私は、人間を愛することができないのです。毎日、不治の病で死にゆく人たちのケアをしていながら、患者さんを愛することができないのです。私には、看護師は向いていないと思います。やっていく自信がありません」と涙ながらに言うのだ。

 彼女に愛情がないのではない。むしろ、筋金入りの愛情あふれる人なのだ。しかし、ナイチンゲールを目指し、そのナイチンゲールが持っていたであろう愛の基準を自らに課しているために、そのギャップに苦しんでいるのだ。

 「死を迎えようとしている人たちを愛で癒す」という途方もない人生の志を持ったその看護師は、自分の愛情が足らないと実際に苦しんでいるのだ。

 つまり、彼女は、自分の天命に悲鳴を上げているとも言える。

 もし、成し遂げるにはあまりに困難な基準を、自分に課すことがなかったなら、いや課されることがなかったなら、そんなに苦しむことはないのだ。

 次は、西郷隆盛の例だ。

 明治維新の功労者、西郷隆盛は、「人を相手にせず、天を相手にすべし」という言葉を残した。これは、「天を敬い、人を愛す」という言葉と共に、さまざまな本や雑誌で引用されている。

 しかし、その後に来る「己の誠の足らざるを常に反省すべし」という言葉は、ほとんど引用されていない。

 自分の誠が足らないのを常に反省するべきだと西郷自身に言っているのだ。誠の塊のような西郷隆盛が言うのだから、謙遜と受け取られ、引用されてこなかったのだろう。

 しかし、私は、西郷隆盛は、実際には「自分には誠が足らない」と嘆いていたと確信している。それは、西郷隆盛が天を相手にしていたからだ。

 つまり、天の誠を基準とするなら、西郷が自分は誠が足らないと言ったとしても頷ける。

 この言葉から、回天の大事業をやる過程で、西郷が常に自分の誠実さと格闘していたことが推察される。事実、西郷は多くの漢詩を残し、初期の頃には、自分の境遇を嘆き、実際に天に対する悲鳴にも似た漢詩を詠んでいる。

 この図2を見てみよう。自分に課す基準が低いひとは、バーも簡単に超えられるし苦しみも少ないだろう。






 しかし、目指すべき、いや、天から与えられたバーが高ければ高いほど、自分の今の実力とのギャップを見て、その困難に直面し苦悩することになるのだ。

 経営も同じだ。自らの天命に志す経営を行う時、その基準は、いっそう高いものとなり、実現することが、さらに困難にならざるをえない。

 自らの高い基準を実現するためには、激しいハードルを幾つも超えて、実現しなければならない。しかし、あるべき姿と現実の違いに、心が悲鳴をあげているのだ。それが、「嫌だいやだ」といった言葉で顕されていると見えてくる。

 21世紀は心の時代だと言われている。経済的に豊かになれば幸せになれるという幻想が壊れ、物質から心へという訳だ。

 しかし、もし経営者の苦しみや悩み、嘆きに対して、気配りや思いやり、癒し、などの方法で、心の動きにのみ対処するとしたら、一時的には、心は平静を取り戻すかもしれないが、さらにコロコロと動く心によって翻弄され、同じことが繰り返され、その試みは、失敗に終わるだろう。

 だからこそ、私たちは、経営を学び、自分の「心の動き」と「揺らぎのない天命」を区別して、日々行動する必要があるのだ。

 天命という高いハードルが設定されているからこそ、あなたは叩かれ、嘆くことになるのだ。低いハードルならば、現状に満足して、何も苦悩することは無いはずだ。

 もう一度、あなたの天命を明らかにする
第四番目の特殊な問いに戻ろう。


 私たちは、なぜ嫌だいやだと言いながら、
特定の行動を続けているのだろうか?


 私たちが嘆きながらも、特定の行動を続ける理由を、
自分自身が受け入れる時、必然的に、次の質問が出てくる。


 私達は、「どのように自分の中にある不動のものと関わるべきなのか?」

第六話では、天命との4つの関わり方を探求しよう。

                          

 出口 光

 
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