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西嶋和夫の「社長のための坐禅入門」 14号 |
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「苦しめば苦しむほど得るものは大きい?」 |
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(読者からの質問)
いつも「坐禅入門」を読ませていただきありがとうございます。 さて、以前からよく分からない事柄がありましたので質問いたします。 西嶋先生は、この「坐禅入門」で、座禅は苦行ではないとおっしゃっていますが、 物事は、ある程度、苦しまないと得るものがないように思います。 座禅は、自律神経を正常な状態に近づけるための特別なものと考えるべきなのでしょうか? また一般的、物事を成す場合、苦しめば苦しむほど得るものは大きいと言う人もいれば、自分が楽しいと思わなければ長続きしないと言う人もいます。 私は、極端すぎなければ、どちらでもよいと思いますが、どうお考えになりますでしょうか? (H.Kさん) (西嶋先生の回答) 坐禅に関連して、苦しむことが目的ではないという意味は、坐禅には足が痛かったり、眠くなったりというような苦しみがともなう場合がありますが、苦しむことが坐禅をする場合の目的ではないという意味です。 世界の宗教の中には、苦しむことに目標を求めた苦行のための宗教もありますが、坐禅は苦行のための修行ではありません。 坐禅の目的は、自分自身の身体と心を正しい状態に置くことであります。 自分自身の身体と心を正しい状態に置くと、頭の中でいろいろと悩む状態が止まり、苦しい状態から抜け出すことができます。 それと同時に、人生において何の張り合いもない状態からも抜け出すことができます。 道元禅師は坐禅のことを「安楽の法門」と言いましたが、これは、坐禅がこの世の中の本当の事がわかってくる入り口であるという意味です。 私もまさにその通りであると思います。 以前にも述べましたが、坐禅を続けていくと、足も慣れて痛くなくなります。そうすると、だんだん楽しくなって、坐ることで身体と心の平和を得ることができるようになります。 ですから、坐禅は本来、平和で楽しいものなのです。 そもそも、坐禅に限らず、人生において、苦しむことだけでは何の意味もありません。 もちろん、何かを目指して成功するには、苦しくてもやらなければいけない時がありますが、苦しいことを我慢してやっていれば何とかなるというものではありません。苦しいけれど頑張れば何とかなるというのは、甘ったれた考え方です。 一方で、人生で何かをやるとき、それをやること自体が楽しくなければ、長続きしないというのも事実です。 ということは、はたから見たら、よくも苦しいことを努力してやっているなと見えても、やっている当の本人は、案外楽しんでやっている場合が多いのです。 要は、自分が努力していることが、成功する見込みがあるのかないのか、そしてそれをやることが好きなのかどうか、それをまず見極めることが大事なことです。 |
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