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板垣宏征の「見えない・からだ学」 44

「この世に生まれてきた意味」

 もし、この世に自分たった一人だったら、どうでしょう?

 誰もいない、たった一人の世界。

 そうなると、まず困るのは「自分が誰だかわからない」ということですね。

 たぶん、そんな世界だったら「自分は誰か?」なんて疑問すら生じようがないでしょう。

 この世は誰かと比較できるから、「私はわたしである」と認識できるようになっている。つまり、私たちは自分が誰であるかを認識するために、この世に生まれてくるのです。

 だから背が高いとか、勉強ができるとか、スポーツに才能があるとかは、比較できる対象があるからこそ分かるのです。オリンピックの金メダリストだって、この世に自分とチーターしかいなかったら「俺は足がとてつもなく遅い」と嘆くことでしょう。

 貧乏とか病気についても、「こっから先が貧乏」とか、「Aさんは病気でBさんは病気ではない」とか、絶対的な基準があるわけではないんです。ただ、この世のさまざまな相対的な差を知り、その差から、自分はどのへんにいるのかを知るのです。

 この世のすべては、「ああ、だから自分は自分である」と「認識する」手段でしかないのです。

 病気は気づきだ、という言い方があります。

 あるいは人生に困難が生じた時、「これは神さまからのメッセージだ」という言い方があります。

 字面だけ聞くと、「そうは言うけど・・・」という気持ちにもなりますが、これを本気で感じたとき、ほんとうに人生は好転を始めます。

 世間一般とかけ離れた状態に置かれて、世界と自分の差を認識する。そこで初めて見えてくること。語呂合わせではないですが、悟り(サトリ)とは、自分を認識することで、その差を取る(サトル)ことであるように思うのです。

 比較、相対、認識というのは、肉体を持って生まれてきて初めて生じるものです。

 皆が皆、ちょっとした外見の差を持って生まれてくるということがそれを証明していますね。逆に言えば、自分は何者かを知ることが、やっぱりこの世に生まれてくる最大の目的だろうと思います。

 そう考えると、自分の身の回りにいる人の見方も変わってくると思いませんか?

 自分を取り巻く環境も、ずいぶんと高所に立って見ることができます。

 すべては自分を認識するために存在するもの。

 たとえば、世界中旅行できる時代だからといって、すべての国に住めるわけではありませんし、世界人口が65億人を突破したからといって、人生でいったいどれくらいの人と知り合いになれるでしょうか。

 人生で出逢う人には限りがあります。だから今、身の回りにいる人というのは、見えないご縁で結ばれているとしか考えようがないです。つまり、目の前にいる人を鏡にして自分自身に気づくことを、人生を通じて私たちはしているわけです。

 なんだかとても哲学的なお話になってしまいましたが、下記はあるクライアントさんにした実際のお話です。

 彼女は、親から、職場から、すべてのものから逃げ出したい気持ちでいました。すべてを否定して、新しい自分になりたい、と切望していました。

 でも、すべてを否定したまま自分を再構築するなんて、できようもないんです。

  否定とは思考のストップ、感情のストップです。

 そして自分を構築するための「認識」とは肯定です。認識の仕方というのはそれぞれありますから、同じ物事の見方を波動リーディングで角度を変えて見てみました。

そうしたら、発見があるんですね。リーディングの最中、私にはわかりませんでしたが、彼女は自分自身から出てきた答えに、新しい意味を見出すことができました。

 彼女には、自分に起こった忌まわしいとしか思えなかった記憶に、今までにない解釈をつけることができたのです。不思議ですね。

 それで新しい人生をスタートすることができた。否定・排除では決して新しい自分は生み出せないし、生まれてきた意味まで否定しまうことになるんですね。

 改めてそう感じたとき、私自身も日々のリーディングからクライアントさんを通じて自分自身の自己認識をしているんだと気づきました。

 ああ、ありがたい。この仕事は、面白い。

 感謝しつつ、新しい出逢いのために今日も波動リーディングにいそしむ私でありました。

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 人体の謎研究所&波動コミュニケーションズセンター 
  所長 板垣宏征
  http://www.nazoken.com/

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