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板垣宏征の「見えない・からだ学」 19

症状編(3)見えない・からだ学で考える「がんとは何か?」

 人類史上、一度たりとも「病気」は、なくなったことがありません。

 これだけ医療が発達した現代日本においても、「病」や「がん」は増え続け、今では全体の死亡率の約3分の1が「がん」となりました。

 3人に1人は、「がん」で亡くなるという時代です。

 (円グラフ:死亡率)

 人類が始まって以来、私たちは病気と共に生きてきました。

 病気やがんは、人類にとって「必要悪」と最初から考えておけば、がんを撲滅しようとか、この世から病気をなくそうとか無理な発想をしなくていいじゃないかということに気づきます。

 それは、駆逐すべき相手というより、むしろ共存し、上手に付き合っていく相手と考えて始めることができます。そして、その方がよほど現実的のような気がします。

 スイスからの驚くべき報告があります。老衰で亡くなった80〜90歳の方々の解剖を行なったところ、95%の方に何らかの「腫瘍」が見られたというものです。

 この方々の死因はあくまで「老衰」です。つまりこれは、腫瘍をからだに抱えていても、それを「がん化」させずにうまく共存して生活し、長寿をまっとうできた、ということを示唆してくれています。

 「その人のからだの状態は、これまで食べてきたものと、考えてきたことの総和だ」という至言があります。

 食べてきたもの×考えてきたこと=自分のからだ

 ですから、わたしたちのからだには、けっこういろんな毒素がたまっています。自分の内臓はピンク色でつやつやしている、なんてとんでもない。

 糖分、脂肪分、微量金属毒素、活性酸素、発がん性と呼ばれるさまざまなシロモノと、感情ストレスが結びついて、それはそれは個性的な、オドロオドロシイ毒素が体内に蓄積している、と考えた方が自然です。

 それでもやっていけるのが人のからだです。いろんな毒素にめげずにがんばってくれています。

 でも、ときどきは「毒だし」が必要ですね。

 「毒だし」の方法としては、第一に、尿や便、呼吸の通常排泄があります。肝臓で解毒されたもの、腎臓で濾過されたものは、この通常排泄にのせられて体外に出て行きます。

 しかし、この通常排泄を越えて毒素が溜まった場合はどうなるのでしょうか?

 毒素で血液が汚れ、細胞が傷つき、このままでは正しい新陳代謝ができない!となったとき、からだが最初にとる手段は、「発熱」です。

 発熱によって体内毒を燃やしてしまおう!とするわけです。たまった毒素を燃焼させるために、わざわざウイルスや細菌を呼び寄せてまで免疫反応を起こします。

 子どもは高い熱を出しますが、からだが上手に毒だししているわけですね。

 でも、高い熱を出すには、それなりの体力というものが必要です。

 感情表現なんかも大泣きしたり、大笑いしたり、子どもはとても上手ですが、からだの方も表現力豊かです。目いっぱい熱を出すことができる。

 でも、大人になったら状況に合わせて笑いを慎み、涙をこらえて感情を抑制するように、からだの方も遠慮がちになり、毒だしも小出しになります。

 大人は、高い発熱のかわりに「局所炎症」という形をとるようになります。

 鼻炎、扁桃炎、気管支炎、喉頭炎、肝炎、腎炎、膵炎、関節炎・・・・。

 ナントカ炎は局所炎症。からだの一部分を燃やして、たまった毒素を燃やしてしまおうとするものです。

 ですから、イメージとは逆に、比較的元気な臓器や器官で「炎症」は起こります。そこにからだ中の体内毒が集まるからです。大きなチャンスですから、からだのあちこちから沈着毒素が送られてくるわけですね。

 1回こっきりの炎症で毒だしできればいいのですが、送り込まれる体内毒が多ければ多いほど、「急性の炎症」では間に合わなくなって、炎症が慢性化することになります。

そのパターンがクセになると、ずっとどこかに炎症を持つことになり、慢性のひざの関節炎、慢性の肝炎、慢性の皮膚炎などになります。

 慢性の炎症を患ってしまったからだは、それだけでも健康とは言いがたい状態ですが、さらに、それでも耐え切れないくらいに体内毒を抱えてしまったらどうでしょう。

 尿、便、発熱、炎症(急性、慢性)・・・もう外への毒だしの手段は使い果たした・・・それでダメだと言うなら、もう、体内に毒素を封じ込める場所を作ろう、ということになります。

 体内にゴミ箱をつくって体内毒を閉じ込める作戦に出る。

 血液や細胞を傷つける体内毒を一箇所に集めて檻をしてまって、これ以上からだが傷つかないようにする非常手段としてのこのゴミ箱が、「腫瘍」と呼ばれるものです。

 腫瘍というのは良性もあれば、悪性もありますから、その腫瘍をがん化させるか良性のままにするかは、その時点で体内毒がどれだけ汚れているかによります。

 さきほどのスイスの報告例を思い出してみてください。

 体内毒が悪質であればあるほど、悪性のがんになるでしょうし、一箇所で収まりきれずに転移もするでしょう。

――あなたの血液がここまで汚れていますよ。

――汚しているのは食事ですよ、感情ストレスですよ。

――なんとか気づいてくださいね、それまで僕ががんばりますから。

 「がん」のこうしたメッセージが聴こえてくるようです。

 がんとは何か?・・・ここで、よくよく考えてみることにしましょう。

 私たちは通常、「がん」を体内にできた異物、からだの内側にできてしまった不運な出来事とみなします。

 ところが、東洋医学には反対に、「がん」を「救世主」とみなす考え方をします

 上でみたように、がんも毒だしの一形態で、なんとか生命を維持しようという、からだのけなげな働きとみなすわけです。

 つまり、生命維持装置としてのがんの役割を救世主とするのです。

 みなさんは、もし、自分ががんになったら、と考えたことがありますか?

 下の図は部位別のがん死亡率です。最近では胃がんを抜いて肺がんがトップです。部位別にしてもこれだけの「がん」があります。

資料:厚生労働省大臣官房統計情報部 「人口動態統計」2001年

 また、形や性質・内容物による分類では、がんは200種類以上もあるそうです。

 まして、ひとりひとりの患者にできる「がん」は、患者自身の体質、生活習慣が大きく反映されているわけですから、それだけで個性的です。

 自分がもし、がんになるとしたら、まず「何がん」になるかは大きな問題ですね。

 ところが、病院で「がん」と診断されたなら、それがどの臓器に発生しようと、治療の選択肢は、手術、放射線、抗がん剤(あるいはホルモン剤)のうち、どれかになります。

  そういう意味では「肺がん」も「胃がん」もほとんどおんなじ。私の個性ある「がん」とはみなしてくれません。

 これは、最初から末期がんを想定しているから、そうなるのでしょう。――いずれ進行すれば転移するので、終着点は結局おなじ全身がん。そうなる前に一刻も早く、悪い種は取り去る・・・。

 こうした発想は、

 (1) がんはどこに発生しても「がん」。

 (2) がんは転移し、広がる。広がる前に取り去るのが一番!

 (3) がんはからだにあってはならぬもの。

ということが大前提になっています。

 でも、こうしたがんを十羽ひとからげにして考えて、どんながんも、一様に同じ治療法で対処しようとするところに、実は限界があるのかもしれません。

 私はこの10年、多くのがんのクライアントさんとお付き合いさせていただきましたが、

 がんを克服される方の共通点は、自分を「一がん患者」とみなしていない点です。

 逆説的に聞こえるかもしれませんが、医療が区分けする病名「がん」に左右されることなく、一個人として自分の体内のがんと対峙し、自分のがんの個性に目を向けたとき、がんの方も自分の存在意義を認めてくれる宿主と、上手に付き合いを始めてくれるようなのです

 がんを駆逐しない、上手に共存するというのは「言うは易し、行なうは難し」ですが、実は、これこそが残された道かも知れない、という気がします。

 私たちは知らず知らずのうちにがんの過大なイメージに圧倒されてしまっていて、がんになる前からがんへの抵抗力を低下させてしまっています。

 私がお世話になっている日本笑い学会・副会長の昇幹夫ドクターは、「がんという名前がそもそもよろしくない」と、言っていました。

 「これが、“ぽん”とか言う名前だったらあまり怖くないし、肝臓ぽん、胃ぽん、肺ぽんだったら・・・なんだか治りそうな気もしてきますね。」

 医者も患者も、もう少しがんへのイメージをやわらかくして、共存する道、がんはあってもアクティブにさせない方法論を探ってみることが、これから大切になるかもしれないですね。

 

 人体の謎研究所&波動コミュニケーションズセンター 
  所長 板垣宏征
 http://www.nazoken.com/

 ※板垣宏征氏に質問のある方は、なんでも結構ですので下記にお寄せください。 okada@jmca.net
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