経営計画実例第3集 冒頭

1 経営計画は何のために作るのか。計画書は何のために作るのか

(1)立派な方針書の危険

 私のところには、多くの社長方から経営計画書が送られてくる。毎期送ってくださる方も少なくない。
 社長自らが精魂込めて作りあげた計画書を拝読させていただくのは、私の仕事であり、また喜びでもある。計画書を活用されて、優れた業績をあげられることを祈るのである。

 さらに、それらの計画書は私自身の至らなさを反省させられるものでもあるのだ。
 ある年、K社長から送られた計画書の方針書は素晴らしいものであった。

 初めて作るときの方針書は、先輩社長の方針書や「経営計画実例集」を参照してのもので、まねの部分が多いのが普通であり、またそれで良いのだ。3年目くらいになると自分の考えが、かなり盛り込まれてくる。そのために大部のものとなっていく。
 K社長の計画書がそうであった。このときの方針書は数万字にも及ぶ立派で盛り沢山なものであった。一通り読み通したが、その内容は至れり尽くせりともいえるもので、間然するところなどは無いのである。

 しかし、読み終わったときの私の感想は「困ったことだ」であった。
 なぜかというと、それは「実施できない方針」だからである。何もかもやろうとすると、何もかもできなくなってしまう。結局は無方針と同じことになってしまうのである。これこそ総花主義の誤りである。

  私が重点主義を主張する理由がここにあるのだ。だから、「計画期間中にやりたい」ということを、3項目以下くらいに限定しなければならない。いや、1項目だけでもいいのだ。

 基本方針という長期にわたって変わらないものがあるのだから、計画期間の方針は少数項目に絞って、その期間中に徹底的にやるのが良い。
 最も簡明な方針書として、A社の例がある。A社が当期目標としてあげたものは、「環境整備」ただひとつであった。

 A社は文字どおり1年間これだけを徹底的にやり通したのである。そしてその結果は目を見張るようなものだった。私は「ホテルオークラより立派だ」という賛辞を呈したのである。それは、「環境と同時に社長以下全社員、パートさんに至るまで、心が洗われた」という効果と売上増大という成果となって実を結んだのである。

 盛り沢山の目標は、単に効果がないということだけでなく、さまざまな害毒を発生させるのである。
 盛り沢山な目標は、何もかも中途半端に終わってしまうのが落ちだが、実はそのことを社長自身も知っている。(これは私が直接多くの社長に確かめたことである。)そのために、不十分、不実施のことがあっても、社長はこれを厳しくチェックし、完全に実施させることを控えてしまう。不実施のことがあっても目をつむってしまうということになる。

 これを社員の側から見た場合には、「何もかも同時にやれといったって、そんなことはできる筈がない」という気持ちが起こるのは当然のことである。つまり、初めから本気で方針を実施する気などなくなってしまう。
 さらに、中途半端や不実施を指摘して、何がなんでもやらせるという気が社長自身にもないのだから、「社長は本気で方針を実施する気がない」というように感じ、真剣に方針の実施に取り組まなくなってしまう。
 その結果として、「社長不信」につながるという恐ろしい事態を招いてしまうのである。

 ここに立派すぎる方針書の危険があるのだ。
 大切なことは、立派な方針書を作ることではなく、立派な会社を作ることである。
 経営計画書というのは、立派な会社を作るための道具であることを忘れないでもらいたい。道具にこり過ぎると、その道具が事業経営に害を及ぼすことの危険を、よくよく認識していただきたいのである。

(2)経営理念をやたらに作るな

 「立派すぎる方針書」にコンサルタントとしての責任を感ずる私であるが、もうひとつ責任を感ずるものに「経営理念」がある。
 経営理念というのは、ある意味では「悟り」であろう。

 永年にわたる血の出るような事業経営の努力の積み重ねや反省…それは、常にお客様の要求をどう満たすか、満たさなかったか、お客様からの厳しい叱責、自らの怠慢のためにお客様にご迷惑をおかけしてしまった…というような事柄の積み重ねから生まれたもの……。しだいに、しかも自然にできあがってくる自らの使命感であるかもしれないし、数多くの体験の積み重ねの中から、ある日、ある時に突然、形をなしたようなものであるかもしれない。

 それは、生涯を通じての不動の信念や使命感ではなかろうか。いずれにせよ、短時日のうちにできるという速成のものではない筈である。
 事業を通じての思索が、年月の重みで固められたものであるかもしれない。生命力の発露であるかもしれない。止むに止まぬ魂の叫びかもしれないのだ。
 それらは、自らの一生を律する程のものである筈だ。だからこそ簡単に生まれるものではないのである。

 それだけに、意識して作られるものではないし、場合によったら一生かかっても明瞭な形も表現もできないかもしれないのだ。
 だから、経営理念ができないからといって焦る必要もなければ、恥でもなんでもないといえる。

 たとえ、経営理念がまとまらなくとも、「事業とはお客様の要求を満たすものである」という自らの使命感、信念をもっていれば、それでいいのである。これこそ、「書き表されない経営理念」ではないだろうか。
 たくさんの経営計画書を拝見していると、時々むりに作りあげた経営理念らしからぬものを発見する。

 そのたびに、私のセミナーでの話にその責任の大部分があることを尽痛感させられる。これは、私自身の悩みであり、課題なのである。経営理念というものを、どのように説明したらいいか、ということである。
 いっそのこと、セミナーから外してしまうほうがいいのではないか、とさえ思うのである。
 社長各位にお願いしたいのは、経営理念を無理に作りあげて経営計画書にのせるようなことは無用にしていただきたい、ということである。
 経営理念というのは、社長自らの心、魂の表現であるからこそ、明確に表現できるまで経営計画書にのせる必要はない、と心していただきたいのである。

(3)プロジェクト計画書

 プロジェクト計画書を作るメリットは3つある。
 1つには、これを作らせて提出させることにより、社長の意図が社員一人一人にどのように理解されているか、それをどのように推進しようとしているか、がよく分かることである。

 もしも理解不十分ならば、この時点で指導し、訂正・補足などを指示すればよい。また、社長自身の指導力や表現力の自己反省にもなるのである。
 このように、社長の意図実現が的確に行われていることが事前に確認できるのである。さらに、定期的にチェックすることにより、進行状況の確認や問題点の把握などが可能になり、追指導がよく行われることである。

 2つには、計画書作成者が作成段階で考えをまとめなければならないことである。
 つまり、どのような条件を設定しなければならないか、いつまでに何をしなければならないか、をイヤでも考えなければならないことである。これは大きな能力の向上をもたらすのである。

 3つには、計画書があると、実施がスムースに行われることである。部下は言うまでもないが、他部門や協力工場、納入業者などの協力が非常に得やすくなることである。

 このことは、私の会社づとめの体験で明らかである。私は、自らに与えられたプロジェクトを推進する場合に、極めて簡単なものを除き、必ず計画書を作り、これを必ず持ち歩いて、協力者にお願いする時に、この計画書を相手に示して協力を求めたのである。

 するとその人は、「一倉さんは本当に付き合いにくい人だ。私も忙しいのだから、本当は断りたいのだが、計画書を見せられたのでは、断る訳にはいかなくなる」といって協力してくれるのがほとんどの場合だったのである。日本人は「口で言われたこと」には強いが、「書いたもの」には極めて弱い人種である、という私の主張は、しばしばこのような体験をしたことによるものである。

 だれでもプロジェクト計画書が必要で有用なものであることは知っていながら、なかなか作ろうとしない。それは計画能力がないのではなくて、計画書の作りかたが分からないことが最大理由である。

 かなり前のことであるが、ある会社で管理職に対してプロジェクト計画書作成のお手伝いをしたとき、40才すぎの小学校しか出ていない職長さんが5〜6名含まれていたが、立派にプロジェクト計画書を作りあげることができた。
 それは、プロジェクト計画書のモデル書式(様式を指定した用紙、8頁参照)があったからである。モデル書式さえあれば、たいがいの人が計画書を立派に作ることができることの実証がここにある。

 この様式は、実例をご覧いただければお分かりになると思うが、5W1H(Why、What、Where、Who、When、How)が全部含まれている。つまり記載もれの事項はない、ということである。プロジェクト計画書に具備しなければならない条件はすべて備えているのである。

 最下欄は定期チェックを、だれが、いつ実施するかを明らかにするものである。チェックなき計画は計画ではない。必ず結果を確認しなければならないのだ。それでこそ計画である。

 プロジェクト計画に費やす時間は、それ以後において、数十倍の時間の節約と共に、優れた結果をもたらすものである。

                          
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