| 本名、二宮金治郎。1787年生まれ。苦労の末、若くして親の失った家産を買い戻し富農家となる。
1818年小田原藩家老の服部家の再興を引き受ける。1822年小田原藩の分家、宇津家再興のため、名主格として下野国桜町へ赴任。以降、6百余の藩や郡村を再興、再建の神様として名声が広まる。
1842年幕府の御普請役格。1844年、幕府より日光ご神領地の再興調査を命ぜられる。1856年御普請役、同年に70歳で逝去。詳しくは本書の解説編に。筆記者福住正兄について1824年相模国金目村生まれ。兄勇助に続き、21歳の時に二宮門下に入る。
1850年、箱根湯本の福住家を相続するまで、尊徳のもとで修行、直接、二宮翁の薫陶をうける。稼業の旅館経営のかたわら湯本村名主となり、14カ村の取締を兼ねた。報徳思想の普及につとめ、著書「二宮翁夜話」のほかに「富国捷径」「報徳学内記」など多数を残す。1892年(明治25年)逝去。

編著者 村松敬司氏について
1915年静岡県掛川市生まれ。慶応大学経済学部卒。会社勤務を経て、戦災により掛川に帰郷。掛川農協理事、県立高校校長を歴任、1977年より1986年まで浜松短期大学講師。
1949年大日本報徳社参事、以来報徳社の役職を歴任。平成バブル崩壊後に尊徳思想が再評価され、同社専務理事として東奔西走の忙しい日々を送っている。主な著書に、「報徳一円」(日経BP社)、「二宮尊徳のすべて」(共著・新人物往来社)他。
社団法人大日本報徳社明治8年(1875年)報徳精神普及のために尊徳の高弟、岡田良一郎が中心となって、掛川市に、遠江国報徳社を設立。1911年に現在の大日本報徳社に改名。全国に支部をもち、現在も、全国大会には毎年1000人の参加者が集まる。
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